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上杉定興[うえすぎ さだおき] 上杉 定興(うえすぎ さだおき、明和8年5月28日(1771年7月10日) - 享和3年閏1月14日(1803年3月7日))は、出羽米沢藩の8代藩主上杉重定の四男。実母は側室の橋本氏。義兄に米沢藩9代藩主上杉治憲(鷹山)、異母兄に10代藩主上杉治広。通称は近江。旗本内藤信義(越前守)の養子となり、内藤信政(ないとう のぶまさ)と名を改めた。 寛政元年(1789年)、19歳のときに上杉治憲より、治憲自身が作り細井平州が校閲した「学問大意」を与えられる。また、柳河藩家老立花通栄(織衛)の所蔵文書の中に、寛政10年9月23日(1798年)作成の、上杉弾正大弼舎弟の近江が東都如来先生への遊学の際送られた書付がある。 「寛政重修諸家譜」作成以後に養子入りしたためか、同書には養子入りについての記載はない。 == 参考文献 ==
*横山昭男「上杉鷹山」吉川弘文館 *柳川古文書館史料目録第18集「立花織衛家文書目録」(2008年3月、九州歴史資料館分館柳川古文書館)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上杉定興」の詳細全文を読む
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