翻訳と辞書 |
上杉長員[うえすぎ ながかず]
上杉 長員(うえすぎ ながかず)は、江戸時代初期の高家 (江戸時代)旗本。上条 長員(じょうじょう ながかず)とも。畠山義春の次男。母は長尾政景と仙桃院の間に生まれた娘(上杉謙信の姪)。 == 経歴 == 米沢藩藩主上杉景勝の甥にあたる。父義春は、上杉謙信の養子となり、上条上杉家を継いだため上杉と称するようになった。のち義春姓は畠山に戻ったが、長員は母が上杉景勝の姉妹であり、特に上杉家に大恩もあったことから、そのまま上条姓を称し、その後、上杉姓を名乗ることを許され、徳川政権で江戸幕府高家となり、高家上杉家を興した。 父の実家である畠山氏は清和源氏足利氏支流(元々は桓武平氏)であったが、上杉家の本姓は藤原氏であったので、藤原朝臣を名乗り「上条の五三桐」を定紋とした。慶長6年(1601年)11月にはじめて徳川家康に謁見。家康から下総国印旛郡・千葉郡、常陸国河内郡・信太郡に都合1490石の所領を与えられ、幕府旗本に列した。 慶長9年(1604年)からは家康の命令で徳川秀忠に付属された。元和9年(1623年)8月24日に死去。享年42。小石川の蓮華寺に葬られた。法名は宗林。家督は長男の長政が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上杉長員」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|