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上村 里子(かみむら さとこ、1975年4月16日 - 2013年9月11日)は、日本の女子プロボクサー。JWBC時代はフィオーレジムに所属し、JBC女子公認後にアルファボクシングジム(旧山木ジム)に移籍した。宮崎県三股町出身。 == 来歴 == OLとして働きながらキックボクシングを続け、1996年7月に中沢夏美にKO負けを喫するまで無敗であった。 しかし、足の怪我のためボクシングに転向。 2003年8月、フィオーレジム所属選手としてJWBCのプロボクサーライセンスを取得し、フィオーレジムとフリーインストラクターとしての正式契約も交わした。 2003年11月30日、後のWBO女子世界アトム級王者池山直とデビュー戦を行い、0-3の判定負けを喫しデビュー戦を白星で飾れなかった。 2004年10月29日、中国瀋陽で、この試合がデビュー戦となる後のWBC女子世界ライトフライ級王者崔恩順と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2005年4月、早稲田大学人間科学部健康福祉学科に入学 2005年6月12日、林一実と対戦し、2-0の判定勝ちを収め再起を果たした。 2006年5月20日、韓国全羅北道井邑市で孫抄弄の持つIFBA世界ミニマム級王座に挑戦したが、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2007年6月24日、新宿FACEで猪崎かずみの持つ日本フライ級王座に挑戦したが、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2007年7月、勤務先の楽天KCの地方統合により退職した。 2008年1月17日、JBCの女子解禁と山木ジムのJPBA加盟によりJWBCが発展的解消という形で解散した為、非加盟ジムのフィオーレから山木に移籍した。 2008年3月4日、JBCプロテストに合格し、B級ライセンスを取得した。 2008年4月、九州保健福祉大学総合医療専門学校鍼灸学科に入学。 2008年4月20日、地元の宮崎県体育館での湯場忠志の日本ウェルター級タイトルマッチにてエキシビションを行った。 2008年6月1日、JBCライセンス取得後初の試合として韓国京畿道加平郡で許恩栄とWBC女子ミニマム級暫定王座決定戦を行い、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2008年8月12日、JBC初の国内戦として後楽園ホールで猪崎かずみとノンタイトル6回戦を行い、0-3の判定負けを喫し再起に失敗した。 2008年11月23日、坂出サティホールで池山直とノンタイトル6回戦を行い、許戦から3連敗となる0-3の判定負けを喫し再起に失敗した。 2009年2月26日、後楽園ホールで元JWBC日本フェザー級王者菊川未紀とノンタイトル6回戦を行い、許戦から4連敗となる0-3の判定負けを喫し再起に失敗した。 2009年11月22日、名古屋国際会議場で菊川未紀とノンタイトル6回戦を行い、2-1の判定勝ちを収め再起を果たした。 2010年1月29日、韓国京畿道安城市の斗源工科大学安城キャンパスで金丹菲が持つIFBA世界ミニマム級王座に挑戦したが、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2010年5月1日、韓国忠清南道牙山市の牙山市民体育館で朴智賢が持つIFBA世界ストロー級王座に挑戦をしたが0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。これが上村にとって最後の試合となった。 体調不良の為試合から遠ざかり、2012年、JBCボクサーライセンスが失効した。 ライセンス失効後も再交付を目指しボクシングインストラクターなどの傍らトレーニングを続けていたが、2013年9月11日、事故により38歳で死去した〔ありがとうございました。 天海ツナミ 2013年9月19日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上村里子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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