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上桜城の戦い : ウィキペディア日本語版
上桜城の戦い[うえざくらじょうのたたかい]

上桜城の戦い(うえざくらじょうのたたかい)は、元亀4年(1573年)に阿波国上桜城周辺で行われた合戦三好長治が讃岐守護細川真之とともに、家臣の上桜城主篠原長房を討伐した戦いである。
== 開戦までの経緯 ==

室町幕府の実権を握った三好長慶は、阿波国国主細川持隆を弟三好実休によって滅し、三好実休が阿波国の国主となり勝瑞城を収めた。その後、足利義輝派であった畠山高政六角義賢連合軍と三好実休、篠原長房連合軍との間で久米田の戦いとなったが、この戦いで三好実休が戦死してしまった。その後阿波国の国主は実休の長男であった三好長治が継ぎ、二男の十河存保十河氏養子になり、十河城城主となった。しかし三好長治は当時8歳であったため、上桜城城主篠原長房、木津城城主の篠原自遁板西城城主の赤沢宗伝らが、国政と三好政権を補佐した。特に篠原長房は三好家臣団をとりまとめ、分国法新加制式」を制定したと言われており、三好氏の中心人物として活躍した。
その後篠原長房は、1570年(元亀元年)9月摂津の野田城・福島城の戦い織田信長軍と戦い、翌1571年(元亀2年)5月備前国児島毛利軍と戦い、同年9月摂津の白井河原の戦い和田氏高槻城攻城し各地を転戦していた。『姿なき阿波古城』によると、篠原長房は「三好家中の中でも長房はもっとも堅実で、しかも軍事・政治の両面に通じていたので、ときにはそれが諸臣たちのあいだで妬みをうけるほどの才能があった」と評価されている。
ここに小少将という人物がいる。『三好記』によると小少将は絶世の美女と評されている。小少将は細川持隆の側室であったが、細川持隆の生存時より三好実休と不倫の関係にあり、後に三好実休の妻となり三好長治、十河存保の2子をもうけた。篠原長房が阿波国に帰国した前後より、小少将は三好氏を支えていた篠原自遁と相通じあう仲となり、篠原長房をうとんじるようになった。政務を正し小少将の不倫を諌めたため怒りをかったと言われている。篠原長房はこのような状況にうんざりしたのか、元亀4年(1573年)3月22日、勝瑞城を出て上桜城に閉居してしまう〔『香西史』〕。しかしこの事が逆に裏切り、反撃に出ると思われたのか、三好長治と細川真之は、篠原長房討伐の兵をあげることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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