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上海上国造[かみつうなかみのくにみやつこ かみつうなかみこくぞう] 上海上国造(かみつうなかみのくにみやつこ・かみつうなかみこくぞう)は、上総国海上郡(現在の千葉県市原市の一部)を支配した国造。上菟上国造とも。 == 概要 == 領域の養老川流域には、3世紀の出現期古墳(纒向型前方後円墳)である神門古墳群〔これを古墳とすると古墳時代の始まりが大幅にさかのぼるため、古墳ではなく弥生墳丘墓とする説もある。〕や、王賜銘鉄剣を出土した稲荷台1号古墳〔なお、これら養老川北岸の古墳群は首長の墳墓ではなく小勢力のもので、このため王賜銘鉄剣の「王」をヤマト王権の大王とする他、上海上の首長である対岸の姉崎二子塚古墳の被葬者とみる説もある。〕があり、古くからヤマト王権と緊密なつながりがあったことが想定される。『万葉集』巻第十四東歌の筆頭に「夏麻引く海上潟の沖つ渚に船はとどめむ小夜ふけにけり」とあり、水上交通の要衝であったともされる。 また、当国造の領域と下海上国造の領域の間に武社国造の領域がはいっていることから、房総の国造制の展開には少なくとも2段階があったとされ、5世紀までは下海上国も併せ、千葉県中部から茨城県、埼玉県、東京都にかけての一帯を支配した大勢力であったとする説もある。 その後6世紀に中央から進出した勢力の建てた武社国によって上・下に分割され、さらに村田川流域の菊麻国造の台頭により衰退を余儀なくされた。養老川下流南岸の姉崎古墳群は当国造一族の墳墓とされ、4世紀後半の全長130メートルの姉崎天神山古墳、5世紀前半の全長86メートルの釈迦山古墳に続き、5世紀後半には全長103メートルの姉崎二子塚古墳が造営されているが、6世紀以降とされる古墳が徐々に縮小していることからも衰退が裏付けられる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上海上国造」の詳細全文を読む
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