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上海日本人僧侶襲撃事件 : ウィキペディア日本語版 | 上海日本人僧侶襲撃事件[しゃんはいにほんじんそうりょしゅうげきじけん] 上海日本人僧侶襲撃事件(しゃんはいにほんじんそうりょしゅうげきじけん)とは、1932年(昭和7年)に発生した中国人による事件であり、第一次上海事変のきっかけの一つとなったとされている。 ==事件の概要== 1931年9月に満洲事変が勃発し、これにより中国人の対日感情が悪化し、特に中華民国上海では反日運動が高まっていった。 1932年1月18日午後4時ころ馬玉山路を団扇太鼓をならし南無妙法蓮華経を唱えながら勤行していたいずれも日本人の日蓮宗日本山妙法寺の僧侶2名と信徒3名が、抗日運動の活動根拠地と見なされていた三友實業公司のタオル製造工場前の路地で、突如中国人と見られる数十人の集団に襲撃された。その結果、僧侶の水上秀雄が死亡し、天崎天山ら2名が重傷を負った。犯人は中華民国側の警察官の到着が遅れたため逃亡した。日本政府は現地の「抗日会」による犯行であるとして、総領事を通じて抗議し反日組織の解散と反日報道機関の閉鎖を要求したが〔上海事件ニ関スル報告 国立公文書館〕、上海の工部局(市政府)は応じなかった。 ため、上海の工部局は戒厳令を敷いた。1月20日に上海の日本人居留民は、中華民国の排日運動殲滅すべしとの決議を行った。そして1月28日に居留民保護のために派遣された日本軍と中華民国国府軍とが軍事衝突する上海事変が勃発した。
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