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上田温泉電軌1号形電車(うえだおんせんでんき1ごうがたでんしゃ)は、上田交通の前身事業者の一つである上田温泉電軌が、1921年(大正10年)の開業に際して導入した4輪電動客車(電車)である。 本項では翌年に上田温泉電軌が導入した4輪付随客車16 - 19号についても記述する。 == 概要 == 上田市と別所温泉・沓掛温泉・田沢温泉の千曲川西岸地区の温泉地を結ぶために設立された上田温泉電軌は、1921年(大正10年)の開業に際して、4輪電動客車1 - 11号を導入した。 このうち1 - 9号は東急玉川線を建設・営業した玉川電気鉄道から玉川電気鉄道1067mm4輪単車車両を譲り受けたものとされる。玉川電気鉄道では前年に軌間を1,067mmから1,372mmに変更し1,372mm軌間用の客車を新たに購入したため、1,067mm軌間用の客車は余剰となっていた。 10・11号は駿遠電気(現・静岡鉄道)から譲り受けた車両とされるが、和久田康雄は駿遠電気が玉川電気鉄道から譲り受けた車両を上田温泉電軌が譲り受けたものと推定している。 上田温泉電軌は開業翌年の1922年(大正11年)には名古屋電車製作所から電動客車12 - 15号を購入した。これに続いて、玉川電気鉄道から1,067mm軌間用の4輪付随客車を譲り受け16 - 19号として導入した。付随客車16 - 19号は電動客車1 - 11号の定員40人に対して、定員30人であった。 玉川電気鉄道が保有した1,067mm軌間用の付随客車は定員30人の車両4両と定員40人の車両3両の二種類が存在した。前者は1913年(大正2年)にのちの都電杉並線を建設・営業した西武軌道から玉川電気鉄道が譲り受けた車両で、後者はその1916年(大正5年)に玉川電気鉄道が天野工場から購入した車両である。 西武軌道は1921年(大正10年)に初めての開業区間である淀橋 - 荻窪を開業させた会社であるが、当初は蒸気運転を計画していた。1910年(明治43年)1月に敷設工事を開始し、同年9月の第2回払込を受け車両を購入した。ところが、資金に窮したため1912年(大正元年)12月に許可を受けた上で一度敷設したレールを売却したほか、客車7両および機関車1両についても売却し、保有車両は貨車10両のみとなっていた。 上田温泉電軌が導入した電動客車1 - 11号および付随客車16 - 19号はいずれも路面電車然としたオープンデッキ構造を採用する木造車体を備える4輪単車で、付随客車は電動客車と比較して車体が小さく、前述の通り車両定員も電動客車の40人に対して付随客車は30人と異なり、側面窓も付随客車が8枚であるのに対して付随客車は7枚である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上田温泉電軌1号形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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