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長野電鉄デハ350形電車(ながのでんてつデハ350がたでんしゃ)は、長野電鉄に在籍した電車(制御電動車)である。 大正末期から昭和初期にかけて川崎造船所において新製された鋼製車体の電車、いわゆる「川造形〔「いとこ同士 - 同形車を訪ねて - (上)」 pp.22 - 23〕」としての典型的な特徴を備える、長野電鉄初の全鋼製車体を備える電車であり、1927年(昭和2年)に4両が新製された〔「私鉄車両めぐり(49) 長野電鉄」 p.167〕。 == 製造経緯 == 1926年(大正15年)6月から同年12月にかけて新製されたデハ100形・デハニ200形に引き続き、翌1927年(昭和2年)8月と同年10月の二度にわたって2両ずつ、デハ350形351 - 354の計4両が新製された〔『RM LIBRARY86 長野電鉄 マルーン時代』 p.32〕。先行形式であるデハ100形・デハニ200形は長野電鉄の前身事業者である長野電気鉄道および河東鉄道時代に発注・竣功した車両であったため、両社の合併によって成立した長野電鉄としてはデハ350形(以下「本形式」)が初の新製車両となった〔〔「私鉄車両めぐり(49) 長野電鉄」 p.166〕。 デハ100形・デハニ200形は汽車製造東京支店へ発注され、同社が設計製造を担当したのに対し、本形式の設計製造はこれらとは異なり、川崎造船所が担当した〔〔が、これは長野電鉄の幹部が視察のため旧・西武鉄道(後年武蔵野鉄道へ吸収合併され現・西武鉄道となる)を訪れた際、当時の最新型車両であった「川造形」のモハ550形電車を実見し気に入ったことが契機となって発注に至ったものとされる〔。 前述の通り、本形式は川崎造船所が大正末期から昭和初期にかけて各地の私鉄へ納入したメーカー独自の規格設計による、いわゆる「川造形」電車の典型例の一つである〔。 同様の設計・外観を備える車両としては、前述の旧・西武鉄道モハ550形のほか、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)が発注した600形・800形(1926年)、目黒蒲田電鉄(後の東京急行電鉄)が発注した200形(1927年)、東京横浜電鉄が発注した300形(1927年)、豊川鉄道および鳳来寺鉄道(いずれも現・JR飯田線の一部)が発注したモハ20形(1926年)の各形式が存在する〔。 これらはいずれも、川崎造船所が1925年(大正14年)に阪神急行電鉄向けに新製した日本の鉄道車両初の全鋼製車体の試作車である510形510の設計製造実績を反映して翌1926年(大正15年)より量産製造された阪神急行電鉄600形・800形〔『蒸気機関車から超高速車両まで』 p.205〕を設計の基本とし、各社の要求に応じて細目を修正・変更したものである。 そのため、これら「川造形」電車各形式は、細部には差異を有するものの、構体の主要寸法はほぼ同一であり〔、また外観も深い屋根と客用扉の直上に設けられた円弧を描く水切り・腰高な窓位置・リベット組立工法を多用した製造方法など、共通する特徴を数多く備える〔。 本形式は複数回に及ぶ改番を経て、最終的にモハ600形・モハ610形の2形式に区分され、1980年(昭和55年)まで在籍した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長野電鉄デハ350形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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