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上田 栄治(うえだ えいじ、1953年12月22日 - )は、千葉県館山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在は日本サッカー協会特任理事、女子委員長を務めている。 == 略歴 == 千葉県立薬園台高等学校から青山学院大学を経て、1976年からフジタ工業クラブサッカー部(現、湘南ベルマーレ)に加入。選手時代はフォワードとして8年間プレーし、日本サッカーリーグ(JSL)優勝3回、天皇杯優勝2回に貢献。20得点を挙げた。 選手引退後もフジタのコーチを担当。1993年にフジタを退社し日本サッカー協会のナショナルトレーニングコーチ北海道地区担当、強化(技術)委員などを経て、1999年にベルマーレ平塚の監督に就任。しかし、前年度までの中心選手だった中田英寿の抜けたチームは開幕から最下位を独走し、シーズン途中で不振の責任を取り辞任した(その後平塚は最下位でJ2降格)。2000年から約2年半の間、アジアサッカー連盟の発展途上25カ国の一つであるマカオから、コーチの派遣要請を受け入れてマカオ代表、ユース代表チームで監督を務めた。2000年にAFCアジアカップ2000 (予選)で日本代表と対戦した。 2002年8月から日本女子代表の監督に就任。2003 FIFA女子ワールドカップとアテネオリンピック (2004年)出場に導いた。 2004年9月、低迷の続いていた湘南ベルマーレ監督に復帰。2005年の前半は昇格争いにも絡んだが徐々に失速して結局7位に終わる。2006年は第15節までの14試合で6勝4敗4分けとまずまずの成績を残していたがそこから5連敗を喫し、6月8日に成績不振の責任を取り辞任した。 2006年9月に日本サッカー協会女子委員長に就任〔上田栄治技術委員会副委員長/女子委員長 インタビュー - 東アジアサッカー連盟・2007年1月〕。 2013年7月にJヴィレッジを運営する株式会社日本フットボールヴィレッジの代表取締役副社長に就任した〔〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上田栄治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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