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上田武司[うえだ たけし]
上田 武司(うえだ たけし、1946年3月16日 - )は、兵庫県西宮市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、76ページ〕出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 鳴尾高校では、1963年に投手として夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、宮本幸信投手、吉田孝司捕手のバッテリーを擁する市神港高に敗退。1964年に読売ジャイアンツへ入団〔。 1965年に野手へ転向〔。巨人のV9時代に内野ならどこでも守れるスーパーサブとして活躍し、長嶋茂雄からは「ジョージ・ベンチ(常時ベンチにいることから、ジョニー・ベンチを捩ったもの)」と呼ばれた。1967年はイースタン・リーグで打率.356をマークして首位打者を獲得した〔。 黒江透修、土井正三に衰えが見られるようになった1971年からは、スタメンでの出場も多くなる。1973年、1974年にはそれぞれ93試合に出場、1974年には両選手の不調もあって2番打者として起用された。しかし河埜和正が遊撃手に定着し、デーブ・ジョンソンが二塁手にコンバートされると出場機会が減り、1978年に引退した。 翌1979年から巨人のコーチに就任し、1995年まで務めた〔。後にスカウトに転身し、退団。現在はリアルスポーツ評論家。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上田武司」の詳細全文を読む
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