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上田 泰弘(うえだ やすひろ)は、日本の陸軍軍人及び航空自衛官。第9代航空幕僚長就任直後の7月30日に発生した全日空機雫石衝突事故の責により、在任40日で辞職する。 == 経歴 == * 1937年(昭和12年)7月 - 陸軍士官学校卒(第49期)。 * 1944年(昭和19年)7月 - 陸軍大学校修了(第58期・同期に陸上幕僚長曲壽郎)。 * 1945年(昭和20年)- 第51航空団参謀、陸軍少佐で終戦を迎える。 * 1954年(昭和29年) - 空自入隊。 * 1965年(昭和40年)7月16日 - 第3航空団司令就任。 * 1967年(昭和42年)3月 - 航空幕僚監部人事教育部長就任。 * 1969年(昭和44年)2月17日 - 北部航空方面隊司令官就任(第7代)。 * 1970年(昭和45年)7月1日 - 航空幕僚副長就任(第11代)。 * 1971年(昭和46年)7月1日 - 第9代航空幕僚長就任。 * 1971年(昭和46年)8月10日 - 第9代航空幕僚長辞職。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上田泰弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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