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上田清次郎 : ウィキペディア日本語版
上田清次郎[うえだ せいじろう]

上田 清次郎(うえだ せいじろう、1900年10月28日 - 1987年2月3日)は、日本の実業家。数多くの炭鉱を所有した炭鉱王として知られている。また馬主としても知られ、1980年から1985年まで中央競馬馬主協会連合会の会長を務めた。
== 経歴 ==
1900年福岡県に生まれる。1923年には、筑豊炭田豊州炭鉱を買収し、炭鉱経営に乗り出す。さらに東洋炭鉱や豊前炭鉱を買収し、折からの石炭増産特需を受けて事業に成功し、炭鉱王として名を馳せた。また1933年には、33歳で福岡県川崎町(当時は川崎村)町長に就任して12年間務め、大手鉱業会社の川崎町への誘致などを行い、町の発展に尽くした。
戦後、1946年第22回衆議院議員総選挙において、福岡2区に日本社会党から立候補して当選するも、翌年の選挙で落選。さらに炭鉱国管疑獄に連座して取調べを受けた。炭鉱経営は順調で、1951年1953年には、高額納税者番付で全国1位を記録した。
しかし、程なく炭鉱不況の波が押し寄せ、さらに経営する炭鉱での相次ぐ事故〔1960年の上尊鉱業豊州炭鉱での水没事故(死者67名)や、1961年の上田鉱業上清炭鉱での坑内火災事故(死者71名)など〕が追い討ちをかけて経営が悪化し、やがて倒産を迎えた。その後は、不動産業やゴルフ場などの運営、競走馬の生産に専念し、1987年に死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「上田清次郎」の詳細全文を読む



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