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上田 直次(うえだ なおじ、1880年1月23日 - 1953年2月21日)は日本の彫刻家。広島県賀茂郡川尻村生まれ。 3人の子供のうち長男は彫刻家上田薫(東京芸術大学彫刻科卒)、次男は彫刻家上田繁直(東京芸術大学彫刻科卒)。 ==略歴== 1880年(明治13年)1月23日 広島県賀茂郡川尻村(現在の呉市川尻)宮大工の第一人者と称された上田治作の次男に生まれる。 1906年(明治39年)大阪産業博覧会で高村光雲の「浜辺で遊ぶ子ら」を見て感銘を受け、翌1907年川尻村光明寺の住職日高緝熙に斡旋された浅草の広楽寺を目指して妻を残し単身上京、東京府下谷区谷中(清水町)真島町一番地にある太平洋画会研究所(太平洋画会、現在の太平洋美術会が設置した研究所)に学ぶ。木彫を山崎朝雲に師事、塑像を朝倉文雄のもとで研究。旧広島藩第12代藩主浅野長勲に認められ 望月圭介の庇護を受けた。1911年(明治44年)第5回文部省美術展覧会(文展)で「労働者の妻」が初入選する。以後文展・帝展で活躍し、第11回帝展で「山羊の親子」が特選となり宮内庁買い上げとなる。以後帝展・新文展に無鑑査出品の権利を得る。 1945年(昭和20年)終戦を機に広島に帰郷、晩年は仏像の制作に励み、又、広島県美術展の第一回展から第四会展までの彫刻部の審査員を務めるなど同展覧会の発展に尽力した。 1953年(昭和28年)2月21日、広島県賀茂郡川尻町の自宅で肝臓がんのため死亡。享年73 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上田直次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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