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上田 辰之助(うえだ たつのすけ、1892年2月2日 - 1956年10月13日)は経済学者、思想史家。一橋大学名誉教授。元日本学士院会員。ペンシルベニア大学博士。正三位勲一等瑞宝章、イタリア王国コンメンダトーリ・コローナ・イタリヤ受章。 == 人物・経歴 == 東京市日本橋小網町出身。実家は上田回漕店。東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1914年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業、1916年同校専攻部貿易科卒業、同校講師に就任、1917年同校教授に昇格。1918年からペンシルベニア大学に留学して海運論を研究。1920年ペンシルベニア大学博士(Ph.D.)。一橋では上田貞次郎教授に師事した〔齋藤勇「上田辰之助博士を憶ふ」 一橋論叢1-May-1957〕。 1920年から東京商科大学(現一橋大学)附属商業専門部教授。アメリカ合衆国からイギリス、フランス留学を経て、1922年に帰国。同年から東京商科大学講師、1923年から同大助教授、1931年から同教授、1949年から一橋大学経済学部長・教授及び日本学士院会員。1953年一橋大学社会学部教授、1955年定年退官、一橋大学名誉教授、国際基督教大学客員教授。1956年明治学院大学兼任教授。同年心臓麻痺により急逝〔桶舎典男「上田辰之助名誉教授年譜」 一橋論叢1-May-1957〕。 この間1923年から普連土女学校(現普連土学園中学校・高等学校)評議員、1924年から教員検定委員会臨時委員、1933年から1936年まで文部省語学教育研究所理事、1942年北京輔仁大学経済学・社会学客座教授、1945年大倉山文化科学研究所(現大倉精神文化研究所)所長。 1921年にロンドン大学でクエーカー教に入信したクエーカー教徒であり、トマス・アクィナスの思想の研究などを行った。上田ゼミナール出身者には大平正芳(元総理大臣)、田島義博(元学習院院長)、小原敏人(元日本ガイシ社長)、八尋俊邦(元三井物産社長)などがいる〔大塚金之助「故 上田辰之助名誉教授」 『一橋大學一橋學會』日本評論新社1957-05-01〕。 1932年正五位勲四等瑞宝章、1937年勲三等瑞宝章、1938年従四位高等官一等、1941年イタリア王国からコンメンダトーリ・コローナ・イタリヤ受章、1943年正四位、1944年勲二等瑞宝章、1956年正三位勲一等瑞宝章。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上田辰之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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