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上福元 勤(かみふくもと つとむ、1966年1月4日 - 2007年9月29日)は、東京都出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 ==来歴・人物== 小中学生時代(松沢小、松沢中学)は、調布リーグ(リトル・シニア)で活躍。 1981年に、調布リーグのチームメイトである板倉賢司と共に早稲田実業(早実)に入学し、野球部に入部。1年生の夏の甲子園大会の東東京大会では前年度に甲子園大会を準優勝した早実の18名のベンチ入りを1年生ながらに果たした。早実は東東京大会を優勝し、甲子園に出場することとなったが、上福元自身は甲子園では15名のベンチ入りからは外れることとなり、甲子園に出場することはできなかった。翌秋からはサードでレギュラー。東京大会で優勝し、神宮大会にも出場。 1982年は、調布リトルでも先輩に当たる荒木大輔とともに、春夏連続で甲子園に出場した。1982年の秋からはショートでキャプテン。秋は創価高校に敗れ、選抜出場を逃し、翌夏の東東京大会も準決勝で関東一高に敗れ、この夏の甲子園大会も出場できなかった。 1984年に読売ジャイアンツに入団し、3年間在籍したが、一軍出場は無く1986年に引退した。 その後はプロ野球マスターズリーグで札幌アンビシャスに所属して活躍していたが、2007年9月29日に直腸がんのため死去。まだ41歳という若さだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上福元勤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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