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上遠野 盛秀(かどおの もりひで、生年不詳天正元年(1573年)?)は戦国時代の武将で、白河結城氏の家臣。秀式の子で、秀綱の父。別名は秀益。美濃守。備中守。藤兵衛。 始め中丸館を居館としたが、1560年に白河氏の命で赤館城代となった。盛秀が移る前の赤館城は赤館氏が支配していたが、白河氏によって追われている。 1573年頃に病死し、その後は鹿子畑氏が赤館城に入ったが、1574年に佐竹氏に攻め落とされた。一説には1575年に白河氏を離れて佐竹氏に仕えたとも言われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上遠野盛秀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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