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上遠野秀忠[かどの ひでただ] 上遠野 秀忠(かどの ひでただ、1854年(安政元年)4月12日 - 1933年(昭和8年)8月)は、日本の武術家。新天流12世師範。大日本武徳会剣道範士、槍術範士。 == 経歴 ==
=== 生い立ち === 久保田藩士、新天流11世師範上遠野群吾の長男として生まれる。上遠野家は代々新天流師範を務めた。群吾は横手城城代の配下に属し、新天流剣術及び槍術を自宅の道場で教授するかたわら、漢学の私塾時習堂を1851年(嘉永4年)から開いていた。 秀忠は幼少のころから自宅の道場で見取り稽古を始め、時習堂で四書の素読に励んだ。このほかに日置流大蔵派弓術を小貫蔵人に、大坪流馬術を山県三郎に、林崎流居合術を秦衛門に、休流砲術を川上与右衛門に、大谷流柔術を石川市十郎に学んだ。その後郷校育英書院の筆頭になり、藩校明徳館に進んでその塾頭に上ったという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上遠野秀忠」の詳細全文を読む
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