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上那須氏 : ウィキペディア日本語版
那須氏[なすし]

那須氏(なすし)は、日本氏族下野国那須郡を発祥とする。
== 出自 ==
藤原北家の後裔を称し、各種系図によると藤原道長の六男・藤原長家の孫資家(貞信)を祖とし、元は須藤氏を称していたが、那須資隆(太郎)の時、那須氏を称したとされる〔「那須系図」(『続群書類従』巻第149所収)、「那須系図」(『下野国志』所収)、「田原族譜」など。「山内首藤系図」や「那須系図」の一本(いずれも『続群書類従』巻第149所収)では、藤原師尹の孫・為任の後裔とする。〕。
一般には屋島の戦いで扇の的を射落とした那須与一(資隆の子)で知られるが、『吾妻鏡』によって明確に存在が確認されるのは鎌倉時代初期の那須光資からであり、与一の存在も含めそれ以前の系図や事跡・伝承には疑わしい部分も多く〔那須氏はたびたび分裂していた上に、現存の那須氏系譜で最古のものは元和年間(矢板市観音寺所蔵「那須系図」)であり、中世期の系譜が現存していない。〕、出自は必ずしも明らかではないが、阿倍氏の一族で那須国造家である那須直の後裔とする説がある〔太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年〕。また、光資以後の系譜についても問題があるとする見方がある。通説では光資の後を継いだとされる那須資村が那須氏惣領(当主)として認められた記録が無く、光資の弟で伊王野氏の祖とされる那須資長が惣領であったことを示す古文書(文永9年4月5日付関東下知状:『鎌倉遺文』11005号)が存在する。これは、鎌倉時代後期に光資系と資長系が惣領の地位を巡って争っており、白河結城氏の文書(「白河文書」)などで南北朝時代北朝方惣領としてその存在が確認できる那須資宿(太郎→遠江守)やその後継者とされる那須資直(周防守)など、現在の那須氏の系譜には登場しない惣領(当主)も資長系の人物であったとみられている〔山本隆志「白河結城家文書のなかの那須文書」(初出:村井章介 編『中世東国武家文書の研究』(高志書院、2008年)/改題所収「関東御家人那須家の成立と東・西での展開」山本『東国における武士勢力の成立と発展』(思文閣出版、2012年) ISBN 978-4-7842-1601-7〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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