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上野 千鶴子(うえの ちづこ、1948年(昭和23年)7月12日 - )は、日本の社会学者。専攻は、家族社会学、ジェンダー論、女性学。東京大学名誉教授、立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘教授〔立命館大学大学院先端総合学術研究科 特別招聘教授に上野千鶴子氏が就任 〕。博士(文学)(東京大学)〔http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2013.html〕。 NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長〔理事長就任のごあいさつとWAN上野千鶴子web研究室オープンのお知らせ 〕、日本社会学会理事、元関東社会学会会長(2005年(平成17年度) -2006年(平成18年度))、日本学術会議会員、シューレ大学アドバイザー、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表を務める。 慰安婦問題の解決をめざす会 所属 == 経歴 == 富山県中新川郡上市町出身。父は内科医〔死亡 上野良雄氏(上野千鶴子・東京大学大学院教授の父)「京都新聞」2001年6月17日〕。 構造主義文化人類学と社会科学の境界領域を論じた理論社会学について研究者となり、この頃の1970年代の論文は『構造主義の冒険』にまとめられている。1980年(昭和55年)にマルクス主義フェミニズムを知り、これの紹介者・研究者となる。著書に『家父長制と資本制 - マルクス主義フェミニズムの地平』(1990年)がある。以降、彼女自身もマルクス主義フェミニストとされる。 また、思想輸入ではない日本の女性問題史の整備にも努め〔『主婦論争を読む――全記録(1・2)』(1982)の編集など。〕、1970年代に起きたウーマンリブ運動への再評価もおこなった〔『美津と千鶴子のこんとんとんからり』(1987年)など。井上・上野・江原編『日本のフェミニズム(1) リブとフェミニズム』岩波書店、1994年(平成6年) の上野による巻頭総括論文「日本のリブ --その思想と背景」なども参照。〕。 『セクシィ・ギャルの大研究』(1982年)は表紙カバーに推薦文を寄せた栗本慎一郎や山口昌男、あるいは 鶴見俊輔などから評価され、文化人類学・記号論・表象文化論などの方法を使って現代の消費社会を論じるフェミニストとして知られるようになる。特に1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)にかけて世論を賑わせたアグネス論争にアグネス・チャン側を擁護する側で参入した〔アグネス論争については『「アグネス論争」を読む』JICC出版局、1988年(昭和63年)、小浜逸郎著『男がさばくアグネス論争』大和書房、1989年(平成元年)、加藤秀一・坂本佳鶴恵・瀬地山角編『フェミニズム・コレクション1』勁草書房、1993年(平成5年)などに経緯が詳しい。〕。 1990年代以降も家族・建築・介護・福祉の問題や文学・心理学・社会心理学などの学問領域で論じている。近代家族論として『近代家族の成立と終焉』(1994年)などがあり、それを発展させて近代国家論を取り扱った『ナショナリズムとジェンダー』(1998年)や、介護問題に派生させた著作もある。 博士課程退学後にマーケティング系のシンクタンクで仕事をしていたこともあって、消費社会論の著作も多い〔『<私> 探しゲーム ― 欲望私民社会論』(1987年)、『セゾンの発想 ― マ-ケットへの訴求』(1991年)など。〕。 文学論としては、小倉千加子、富岡多恵子との鼎談『男流文学論』(1992年)、『上野千鶴子が文学を社会学する』(2000年)などがある。現代俳句の実作者であった時期もあり、『黄金郷(エル・ドラド)上野ちづこ句集』(1990年)がある。 このほか、性愛(セクシャリティ)論、市民運動論、学校論など様々な分野での著作多数。また、論文集『日本のフェミニズム』や『岩波女性学事典』、『岩波講座現代社会学』『社会学文献事典』などの共編集者を務めている。 2013年に『ケアの社会学…当事者主権の福祉社会へ』で東京大学より博士(文学)を取得した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野千鶴子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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