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上野 宏史(うえの ひろし、1971年2月23日 - )は、日本の政治家。前衆議院議員(1期)。元参議院議員(1期)。 == 経歴 == 宮城県仙台市生まれ。旧姓、小林。開成高等学校、東京大学経済学部を卒業。 1994年4月、通商産業省入省。中小企業庁課長補佐、内閣官房教育改革国民会議事務局、機械情報産業局自動車課課長補佐、製造産業局車両課課長補佐、大臣官房総務課課長補佐、内閣府科学技術政策・イノベーション担当参事官補佐を務めた。また、この間にハーバード大学大学院(ケネディスクール)留学、2003年修了。 2010年6月、義父の上野公成がみんなの党に第22回参議院議員通常選挙での公認を求めたが、自民党の元議員である公成の擁立に党側が高齢を理由に難色を示したため、代わって娘婿の宏史が公認されることとなった。これにともない、経済産業省を退職し、上野に改姓。比例区から立候補し、義父の地盤であり実父の出身地でもある群馬県を中心に選挙戦を展開。52,052票を得て初当選。 2012年9月、小熊慎司、桜内文城とともにみんなの党に離党届を提出し、日本維新の会へ入党。当初、比例代表選出である3名の離党をめぐってはみんなの党側が反発し、9月25日付で上野と桜内の離党届を受理したうえで議員辞職を勧告した(小熊に関してはみんなの党の他議員に新党参加を呼び掛けたことから除名が検討され、11月20日付けで除籍された 〔(みんなの党公式サイト)〕。)。10月23日の大阪市役所での定例市長会見にて日本維新の会代表の橋下徹市長が突如、みんな側に譲歩して小熊、上野、桜内に議員辞職を求めることを表明11月に入り、日本維新の会とみんなの党の両党間で話し合いが行われた。その結果、上野・小熊・桜内の移籍議員3名が次期総選挙に日本維新の会の公認候補として参議院議員を辞職して出馬し、みんなの党の次点候補が繰り上げ当選となる事で、事実上みんなの党に議席を返上する形で決着し、離党届が受理された。 2012年12月4日、参議院議員を辞職し、同年12月16日実施の第46回衆議院議員総選挙に、日本維新の会公認候補として群馬1区から立候補(比例北関東ブロック名簿登載第1位で重複立候補)。小選挙区で落選するも比例北関東ブロックで復活当選。当選後は衆議院厚生労働委員会と災害対策特別委員会の委員、党国会対策副委員長を務めた。 2014年8月1日、日本維新の会分党に伴い次世代の党に参加。同党選対委員長代理、党組織局長に就任した。同年の第47回衆議院議員総選挙では、次世代公認を辞退し、無所属として群馬1区から立候補したが、落選した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野宏史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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