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上野 由岐子(うえの ゆきこ、1982年7月22日 - )は、福岡県福岡市出身のソフトボール選手(投手)。背番号17。右投右打。愛称は「うえぴー」。女子ソフトボール日本代表。 2004年アテネオリンピック銅メダリスト、2008年北京オリンピック金メダリスト。九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)出身、ビックカメラ女子ソフトボール高崎所属。 == 経歴 == 小学校3年生からソフトボールを始め、ピッチャーとして活躍。小学校で県大会優勝、柏原中学校で全国制覇。九州女子高等学校2年の時最年少で参加した1999年世界ジュニア選手権でエースとして優勝に貢献。ジュニア離れした速球(球速は高校生時で107km/h、日本人最速を記録していた)でオリエンタル・エクスプレスの異名を取った。 2000年のシドニーオリンピック候補にも名前が挙がったが、高校の体育の授業中に怪我(走り高跳びの背面跳びの授業でマットのない地面に落ち、腰椎を骨折)をし、シドニー行きを断念。医者に普通の生活も送れなくなるかもしれないと言われる程の大怪我だったが、奇跡的な回復を遂げた。 2001年に高校を卒業後、日立高崎ソフトボール部(現・ビックカメラ女子ソフトボール高崎)に入部。史上初の2試合連続完全試合を達成し、2001年の新人王に選ばれた。実業団入りと同時に代表チームにも招集され、シドニー世代の石川多映子、増淵まり子に代わって代表のエースとしても活躍を始める。 2002年世界大会デビュー戦となった世界選手権、アテネ五輪の出場権がかかった中国戦で完全試合を達成した。 2004年のアテネオリンピックでは実質エースとして開幕戦のオーストラリア戦を任されたが、まさかの4回3失点KOで敗れる。負ければ1次リーグ敗退が決まる予選最終戦の中国戦でオリンピック史上初の完全試合を達成、3位で予選通過し、勝てばメダルが確定する決勝トーナメント準決勝の中国戦で再び登板してタイブレーカー8回を完封勝利するも、勝てば決勝進出のかかる3位決定戦のオーストラリア戦では登板機会はなく、敗れて銅メダルに終わった。3位決定戦で登板がなかったことについて、まだ監督に信頼されるピッチャーになれていなかった自分が悔しかったと語っている。またこの大会中、風邪を引くなど体調を崩したこともあり、これ以降自分の体調管理に対して深く意識するようになる。日本リーグでは4月25日の伊予銀行戦で完全試合達成。 2005年、10月16日の大鵬薬品戦で完全試合達成。 2006年、北京で開催された世界選手権では準決勝で世界一のアメリカを封じ込めたものの決勝では逆にKOされ、惜しくも銀メダルだった。12月14日、ドーハで行われたアジア大会決勝の台湾戦で5回をパーフェクトに抑え(コールド勝ちのため参考記録)、優勝した。日本リーグでは4月22日の大鵬薬品戦、10月22日のシオノギ製薬戦で完全試合達成。 2007年9月、日本人初の「1000奪三振」を達成〔。 2008年8月20日、北京オリンピック準決勝のアメリカ戦、同日夕刻の決勝進出決定戦の豪州戦と2試合続けて登板、いずれも延長戦となり合計318球を投げ完投(準決勝は敗戦、決勝進出決定戦は勝利)した。そして翌21日のアメリカとの決勝戦も先発して7回完投勝利、2日間3試合413球を投げ抜き、球技としては1976年モントリオールオリンピックの女子バレーボール以来となる日本の金メダルに大きく貢献した。 この連戦連投で最終的に勝利を収めたその活躍ぶりは、かつての日本プロ野球の大投手稲尾和久になぞらえて、一部の新聞紙では「神様、仏様、上野様」と言う見出しが出る程になった。またこの年の新語・流行語大賞で「上野の413球」が審査員特別賞を受賞した。 2009年4月1日から、ミズノとソフトボール関連アドバイザリースタッフ契約が締結。 2009年10月5日、日本リーグレギュラークラス(デンソー他)の選手を揃える愛知を退け、ときめき国体(新潟県上越市高田公園ソフトボール場)で優勝。貫禄のピッチングだった。特に宮城戦では3回をパーフェクトに抑え、外野フライさえも許さなかった。10月18日、日本リーグ山口大会で時速120km/hを超えるストレートを連発し、MAX121km/hで自己最速および世界最速を記録。11月8日には日本リーグ決勝トーナメントを制し、リーグ史上初の2年連続3冠(日本女子1部リーグ・全日本総合選手権大会・国民体育大会)を達成した。 2010年4月25日、日本リーグ豊田大会でタイブレーク延長8回、2アウトから自身初アーチとなる決勝2ランを放った。同年11月26日の広州アジア大会決勝戦、ストレートに加え、切れのある変化球で中国打線を翻弄し一安打完封で優勝。2002、2006年に続くアジア大会三個目の金メダルを獲得した。球速は国際大会世界最速の121km/hを記録した。 2012年の世界選手権では、7月16日予選の台湾戦で7回までパーフェクトに抑えるも0-0で延長戦に入ったため完全試合はならなかったが、延長10回タイブレークで1-0で勝利しノーヒットノーラン達成。決勝トーナメントでは7月21日準決勝アメリカ戦に登板するが延長8回タイブレークの末3-1で敗れ、翌日22日の敗者復活戦でオーストラリアに2-0で勝利、同日1時間後に行われた決勝も連投し、延長10回タイブレークの末2-1で勝利し優勝。 北京での2日間で3連投を上回り、予選最終戦から3日間で4連投、決勝トーナメントを1人で投げ抜き、42年ぶり2度目の世界選手権優勝に大きく貢献した。 2013年、6月1日の戸田中央総合病院戦でわずか68球で通算7度目となる完全試合達成。 8月31日のペヤング戦で3回からリリーフ登板し5回をパーフェクトで抑える好投で勝利し、リーグ史上単独最多となる173勝目を挙げ、ミッシェル・スミス(元豊田自動織機)が持つリーグ最多勝利記録を更新し歴代1位となる。翌日9月1日の太陽誘電戦で通算81回目の完封勝利で今季10勝目を挙げ、自らが持つリーグ最多記録を更新する174勝目、また入団以来13年連続の2桁勝利達成となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野由岐子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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