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上野篤
上野 篤(うえの あつし、1882年4月8日〔『日本の歴代市長』第3巻、742頁。〕 - 1926年9月23日)は、日本の政治家。第7代鹿児島市長。鹿児島市長在任中に山陽本線特急列車脱線事故で犠牲となり死亡した。 == 経歴 == 東京高等師範学校卒業〔『日本の歴代市長』第3巻、742頁。〕。卒業後は鳥取県師範学校で教鞭を執った〔『日本の歴代市長』第3巻、742頁。〕。その後、大阪市役所に入り主事となり〔『日本の歴代市長』第3巻、742頁。〕、財団法人強調会参事を務めた。1923年鹿児島市長伊集院俊に迎えられ、助役に就任する。 1925年2月伊集院市長が死去。上野は市長代理を経て、同年5月28日正式に市長に就任する〔『日本の歴代市長』第3巻、742頁。〕。市長就任後は市章の制定、青少年教育の充実、学校施設の整備、市公会堂の建設など数々の業績を挙げた〔『日本の歴代市長』第3巻、742頁。〕〔『鹿児島市史第2巻』 p.30 - 鹿児島市、1970年〕。1926年9月、妻子を連れて公務のため上京。その帰途の9月23日、乗っていた特急列車が広島県内の山陽本線で水害のため脱線転覆、上野は息子(当時4歳)とともに死亡、妻は重傷を負った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野篤」の詳細全文を読む
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