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凮月堂(ふうげつどう)は、日本全国に展開している複数の洋菓子・和菓子のメーカーが称する屋号である。江戸時代中期、小倉喜右衛門(後に改姓して大住喜右衛門)が江戸で開いた和菓子店を起源とする。明治時代以降、大住家からの暖簾分けが行われた結果、複数の会社がこの名を継承している。正式な表記は「凮月堂」(「風」の字の「几」中が「百」、凮:U+51EE)。 凮月堂の名前のついた店舗は全国に多数あるが、必ずしも創業家である大住家(凮月堂総本店)の承認を得たのれん分けとは限らず、関係のない店舗が凮月堂を名乗っている場合も多い。 == 歴史 == === 江戸時代 === 1747年(延享4年)に大坂より江戸に下った初代の小倉喜右衛門が、宝暦年間に江戸・京橋鈴木町に開いた「大坂屋」を起源とする。 初代喜右衛門には子供がなく、姪の「恂(じゅん)」を養女に迎えていた〔。恂は唐津藩主水野忠光の屋敷に奉公して側室となり、1794年に水野忠邦(後の老中)を生んだ〔。その後、宿下がりとなった恂が夫として迎えたのが2代目喜右衛門である。2代目喜右衛門は、義理の息子に当たる忠邦に引き立てられ、また諸大名に出入りを許された〔。とくに老中松平定信には重用され、松平家の御用菓子商に任命された〔。1815年(文化12年)〔、2代目喜右衛門は松平定信(隠居して楽翁と号していた)より「凮月堂清白」という5文字の屋号を賜った〔。「風月」は定信の雅号のひとつであり〔〔、また蘇軾(蘇東坡)の「後赤壁賦」から「月白風清」の文字を選んだものという〔。これを慶事とした水野忠邦は、名書家として知られた市河米庵を招き、白布に5文字の屋号を揮毫させ、暖簾として喜右衛門に与えた〔。このときから「大坂屋」は「凮月堂」となった〔。また、姓も小倉から「大坂屋」の「大」の字を継承して「大住」へと改姓した〔。 なお、2代目喜右衛門は、初代大住喜右衛門が隠居した頃に南伝馬町に店を移した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「風月堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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