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下秀久[しも ひでひさ] 下 秀久(しも ひでひさ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。上杉氏、最上氏の家臣。次右衛門。対馬守。下重実の次男。諱は吉忠(よしただ)、康久(やすひさ)とも。室は土肥政繁の娘。 下氏は越後国揚北衆の黒川氏一族という。父の伊賀守重実(しげざね)は越後守護上杉氏の被官であったが天文21年(1552)、長尾景虎(後の上杉謙信)により切腹させられている。兄の久長(ひさなが)は御館の乱で景勝方に与し、赤田合戦で討死した。 秀久は、一説によると一時後北条氏に仕えていたともいわれるが、1589年(天正17年)、上杉家の飛び地出羽荘内三郡の代官として尾浦城主となった。1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いでは最上領へ侵攻し、白岩城、次いで谷地城を攻略したが、直江兼続の撤退を知らされなかったために谷地城に孤立し、最上軍の猛攻を受けて降伏した。しかし最上義光は秀久を助命し荘内侵攻の先鋒に起用した。秀久は尾浦城を攻略し、最上家臣として尾浦城主に復帰し二万石を給された。 没年は定かではないが、跡を継いだ子の秀実(ひでざね)は、1614年(慶長19年)に一栗高春の謀反により志村光惟(光清とも、志村光安の子)と共に謀殺された。
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