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下嶋 浩(しもじま ひろし、1944年(昭和19年) - 1999年(平成11年)8月)は、日本の工学者。工学博士(東京工業大学)。専門は機械工学、機構学、ロボット工学。東京工業大学で助手、助教授、教授を歴任し、ロボット国際標準規格に関するISO国際会議日本代表としても活躍した。 ランニング登山〔の国際的第一人者としても有名〔であり、「下嶋渓」の名で著書もある。教授在職中の1999年、マッターホルンの登山中の滑落事故で死去〔。 == 来歴・人物 == 1944年生まれ、神奈川県出身。高校生の頃から登山を始める。カメラいじりも得意であった〔。東京工業大学工学部機械工学科を卒業。同期生に林巌、吉澤善男がいた〔。 東京工業大学大学院修士課程、博士課程を通じて、小川潔教授の元で研究を行う。6節リンク機構などのリンク機構の経路創成機構の研究に取り組み、1972年に博士号を取得。その後も助手として様々なリンク機構の運動解析や機構総合、運動伝達指数の研究に取り組む。1975年頃からランニング登山を始めており、1986年には著書も執筆している。助手から助教授へ昇進し、在外研究員も経験している。 1990年代に入り、ロボットやバイオメカニクス関係の研究を実施していく。ロボットマニピュレータでは、ステッピングモータや、速度制御型のサーボモータなど、産業界で使われているアクチュエータに着目して研究を進めた。位置と力のハイブリッド制御、及びフレキシブルマニピュレータにおける位置と力の制御において、実績をあげた。 能動的音響制御の研究も実施しており、フィードバック音響制御として確立していった、バイオメカニクス関係では筋力関係の研究の指導も行っている。また、学術研究のみならず、国際規格におけるロボットの標準化活動で顕著な貢献を果たしている。 1999年には著書「ロボット工学」の出版を迎えるが、在外研究員としてスイス連邦工科大学に滞在中の8月に、マッターホルン登山中の滑落事故で死去(54歳)〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下嶋浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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