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下座音楽[げざおんがく] 下座音楽(げざおんがく)とは、歌舞伎の演出において、基本的に舞台下手の黒御簾の中で演奏される効果音楽である。「陰囃子」「黒御簾音楽」(略して「陰」「黒御簾」)とも呼ばれるが、陰囃子は狭義には出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴り物を意味することが多い。幕開き、幕切れ、人物の出入り、対話中または仕種の伴奏をつとめる。 ==誕生の経緯== 歌舞伎の発達に伴って舞踊劇と科白劇が区別されたためにその音楽も舞踊音楽と伴奏音楽とに分れ、舞踊音楽は出語り、出囃子と称して舞台に出て客前に演奏されたのに対し、伴奏音楽は歌舞伎の内容が舞踊から科白劇に移行するのに従って、舞台に現れては目障りとなるので陰に隠れて演奏する様になった。これを演奏する場所が黒御簾という、舞台下手の黒屏板囲いに黒い簾をかけた所である。 舞台下手で演奏するので下座と称するという説もあるが、化政度以前は舞台上手奥で演奏していた事が錦絵に明らかであり、四国九州には実際に上手にある劇場が残る〔。元々「下座」とは、「外座」とも書き、舞台上手側の臆病口の前の一角を指し、上方でも江戸でも享保末期にそこが囃子の演奏場所となった。上手の下座が演奏場所となる以前は舞台正面奥に囃子方が居並んで演奏するのが通例だった。演奏場所が下手奥に移されたのは江戸では文政から天保の間で、下手奥に移された後もその場所を「下座」と呼んでいたという〔。さらに黒御簾が現行の位置と形式になったのは安政頃からである〔。一方上方では明治末期まで上手側舞台ばな寄りの結界と称した場所で演奏されていた〔。したがって創始期以来の歌舞伎の囃子全般を指して「下座音楽」と呼ぶのは適切ではなく、この語自体も昭和初期頃に言われ始めたものである〔。下手に黒御簾が移動された理由は色々あるが、要するに花道の発達につれて花道での演技が多くなり、下手でなくては俳優の所作が困難である事に起因するという〔。 明治以前の文献では「外座」という文字が多く使われており、「下座」よりも古くから伝えられている呼称である。「座」とは座る場所で常に定まって演奏する居所という意味で、能舞台の正面囃子方の座る場所を囃子座というが、初期歌舞伎でも同じく一定の常座で演奏された。番附、給金附などの面には唄・三味線・笛・小鼓・太鼓・太鼓と役附が頭に書かれていたのだが、これらの演奏者は常座以外の場所で演奏するので外座と称すという説もある〔。また、江戸時代には劇場附すなわち座附の専属演奏家の中に旗本の次男など冷飯喰いという有産階級の遊蕩児が楽屋へ入って助演したため座附の者と区別するため外座と称したともいわれる〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下座音楽」の詳細全文を読む
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