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下愛子村(しもあやしむら)は、江戸時代から1889年まで宮城県宮城郡にあった村である。合併により広瀬村の一部となり、宮城村・宮城町を経て、現在は宮城県仙台市青葉区の一部である。 ''この記事では後の下愛子地区についても記述する。'' == 地理 == 下愛子村は、現在の町名でいえば、青葉区の下愛子、栗生(くりゅう)、落合、愛子東の全部と、愛子中央の東部、錦ヶ丘の東部、それにをあわせた地域である。栗生と落合はもと下愛子の小字の一つで、錦ヶ丘・愛子中央〔愛子(平14) (仙台市「仙台市の住居表示実施状況 」 2.実施地区名一覧《実施年降順》)… 2002年住居表示施行〕・愛子東〔愛子東部(平12) (仙台市「仙台市の住居表示実施状況」 2.実施地区名一覧《実施年降順》)… 2000年住居表示施行〕は比較的新しい地名である。 広瀬川の中流、仙台市都心部からは青葉山丘陵を隔てて愛子盆地の一角を占める。距離的には仙台のすぐ西だが、川と山が迫る地形のため東西の交通に難があった。北は広瀬川で芋沢村に接する。東は丘陵地に南から割り込む名取郡に接する。南は蕃山をへだててやはり名取郡に接する。 西隣は上愛子村で、地形的・歴史的に一体の地域である。江戸時代に両村の中心は村の境界にまたがる愛子宿にあった。明治時代以降は仙台から関山トンネルを抜けて山形県に通じる関山街道(作並街道、国道48号)沿いの要地として広瀬村や宮城町の中心になった。仙台市に合併し青葉区に属している現在も、宮城総合支所が置かれて旧宮城町の中心である。 街道沿いに東西に長く伸びた市街地は、仙台市のベッドタウンとして拡大を続け〔仙台市の土地区画整理事業 「広瀬土地区画整理事業」(施行面積:6.2ha、施行期間:1985年度 - 1990年度、総事業費:6.4億円)〕、21世紀初めの現在では、一部に水田を残すものの、盆地の大部分が住宅地になっている〔仙台市の土地区画整理事業「栗生土地区画整理事業」(施行面積:75.8ha、施行期間:1982年度 - 1991年度、総事業費:83.2億円)〕〔仙台市の土地区画整理事業「栗生西部土地区画整理事業」(施行面積:47.0ha、施行期間:1997年度 - 2008年度、総事業費:96.7億円)〕。他に、蕃山丘陵の西の一角〔芦見遺跡 周辺〕に錦ヶ丘ニュータウン(ハートヒルズ錦ケ丘〔ハートヒルズ錦ケ丘 〕)が開かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下愛子村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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