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下敷領 悠太(しもしきりょう ゆうた、1983年5月4日 - )は、大阪府大阪市東成区出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 上宮高校では国木剛太に次ぐ2番手投手(3番手は金村大裕)。3年夏に大阪桐蔭に敗れてベスト8止まりとなり、甲子園出場は叶わなかった。 法政大学に進学し、2年春から頭角を現す。3年次は伸び悩んだが、4年春は防御率2.60とまずまずの成績を残した。4年秋は6勝0敗・防御率1.42と自己最高の成績を残してチームの優勝に貢献。初のベストナイン、ファン投票によるMVPを獲得した。 大学卒業後は日本生命に入社。1年目から先発に定着、日本選手権ではチームを準優勝に導いて敢闘賞を獲得した。下敷領が登板の際には、上宮高時代の先輩である佐久間健一とバッテリーを組むことが多かった。 2007年11月19日に行われた大学・社会人ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズに5巡目指名され12月11日に契約を交わした。 2007年12月17日に行われた新入団選手発表会では、渡辺俊介に勝っているところと負けていることを聞かれて「負けているところはリリースポイントの低さです。渡辺さんのほうがリリースポイントが低いんで・・・」と言った後、「勝っているところは・・・顔?」と言った。 ユニフォームの背に入る英名は「SHIMOSHIKIRYO」と13文字も入り、これは源五郎丸洋(「GENGOROUMARU」)、中野渡進(「NAKANOWATARI」)、堤内健(「TSUTSUMIUCHI」)を抜いて日本プロ野球歴代1位となった(世界でもジャロッド・サルタラマッキア(「SALTALAMACCHIA」)の14文字に次いで2位)。 一軍登板ゼロのまま、3年目シーズン終了後の2010年10月2日に翌年の契約をしない旨とあわせて、スカウト(近畿地区担当)として球団に在籍することを同時に発表された〔契約に関するお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト〕。10月8日、任意引退選手公示。 2010年10月30日、同年のドラフト会議にて指名したNOMOベースボールクラブの石田淳也の元へ挨拶に行った様子が同クラブのサイトで紹介された〔NOMOベースボールクラブ 指名挨拶〕。その他担当した選手は、中後悠平、益田直也、松永昂大(のちに3選手はいずれも下敷領が所属していたロッテに入団している)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下敷領悠太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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