|
下条 みつ(しもじょう みつ、1955年12月29日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(3期)。本名、下條 光康〔平成17年衆議院小選挙区選出議員選挙長野県第2選挙区選挙長告示第2号 平成17年(2005年)8月30日〕(しもじょう みつやす)。 父は厚生大臣を務めた下条進一郎。父方の祖父は文部大臣を務めた下条康麿。母方の祖父は経団連初代会長を務めた石川一郎。曽祖父(父方の祖父下条康麿の義父)は貴族院議員を務めた上松泰造。高祖父下条通春は松本藩御典医頭。伯父(母の兄)石川六郎は日本商工会議所会頭を務めた鹿島建設第7代社長。妻・実奈子は松坂屋創業家一族第17代伊藤次郎左衛門長女。 == 来歴・人物 == 長野県松本市出身〔下条みつ公式サイトには「出身・本籍地 長野県松本市」とあるが、同じく衆議院議員の後藤茂之とは小学校(東京)時代の同級生。〕。千代田区立番町小学校、開成中学校・高等学校(東京都)、1980年(昭和55年)信州大学経済学部を卒業、富士銀行に入行し、自民党参議院議員であった父親の厚生大臣(海部内閣)就任に伴い退行。秘書官に就任。 2000年(平成12年)6月25日の第42回衆議院議員総選挙に民主党から初出馬したが落選。 2003年(平成15年)11月9日の第43回衆議院議員総選挙に長野2区から民主党公認で出馬し、自民党の村井仁を破り初当選した。(村井も比例復活で当選)。 2005年(平成17年)9月11日の第44回衆議院議員総選挙に同じく長野2区から出馬し、民主党逆風の中再選。 2009年(平成21年)8月1日、秘書が運転する乗用車で長野県大町市から松本市へ移動中に、安曇野市穂高北穂高の長野県道306号有明大町線で、車線をはみ出して対向車と正面衝突するという事故を起こす。本人は胸の骨を折るなど一ヶ月の重傷を負い、また相手側の運転手にも顔を切るなどの軽傷を負わせた。8月3日の事務所開きは欠席も、その後は選挙活動を行った。 同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に長野2区から民主党公認・国民新党推薦で出馬し、自民党の務台俊介に大差をつけて3選。 2012年(平成24年)12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、自民大勝・民主逆風のなか長野2区で自民党の務台に敗れ、重複立候補していた比例北陸信越ブロックでも当選に至らず、落選した。 2014年(平成26年)12月14日の第47回衆議院議員総選挙でも長野2区から出馬したが落選。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下条みつ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mitsu Shimojo 」があります。 スポンサード リンク
|