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下河辺三史 : ウィキペディア日本語版
下河辺三史[しもこうべ さんし]

下河辺 三史(しもこうべ さんし、1911年10月16日 - 1993年1月17日)は、日本実業家
== 来歴 ==
日本鉱業(現・JXエネルギー)の社長を務めた下河辺建二の次男として東京府(現・東京都)に生まれる〔『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版。〕。兄の下河辺孫一下河辺牧場の創業者となっている〔〔佐藤 『閨閥』 293頁。〕。
1932年高千穂高等商業学校(現・高千穂大学)を卒業して日立製作所に入社〔。立憲政友会所属の衆議院議員芦田均の長女・美世と結婚し、3男をもうけた〔〔〔『池上彰と学ぶ日本の総理 30』 25頁。〕。
戦後、義父の芦田が幣原内閣厚生大臣として入閣すると、日立を退社して厚相秘書官となる〔〔。芦田が片山哲内閣外務大臣就任にともない外相秘書官〔、芦田内閣発足と同時に首相秘書官となった〔〔。
その後、日立グループの商社・日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)に取締役営業部長として入社〔、1959年常務に就任〔。その後1964年専務となり、1965年7月社長に就任〔〔〔。1968年からは日立リース(現・日立キャピタル)取締役も兼任した。その後1981年6月会長に〔、1985年相談役に退いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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