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下河辺淳[しもこうべ あつし] 下河辺 淳(しもこうべ あつし、1923年9月30日〔その歴史、その仕事 - 下河辺淳アーカイヴス 内のページ。〕 - )は、日本の都市計画家、建設官僚。国土事務次官を歴任。工学博士。日本上流文化圏研究所理事長。 日本の国土計画立案に多く関与し、また各種団体の要職を務め、その影響力を指して「御大」と呼ばれた。 == 経歴 == 1923年9月30日に下河辺収の長男として東京府東京市で生まれた〔〔『人事興信録 第15版 上』、シ20頁。〕。1947年、東京大学第一工学部建築学科卒業〔。在学中に終戦を迎えたため高山英華の下で戦災復興都市計画に参画し、卒業後戦災復興院勤務〔。その後建設省入省。1952年に経済審議庁勤務〔。1957年、建設省に復帰、河川や港湾の総合開発計画など各種の総合開発計画に関与〔。1961年、「工業地の立地条件 - 計画単位及び必要施設に関する研究」で、日本都市計画学会石川賞論文調査部門受賞。 1962年からは経済企画庁総合開発局〔。「国土の均衡ある発展」を謳い、戦後日本における国土開発の根幹をなした全国総合開発計画(通称「全総」、1962年閣議決定)の策定に携わる。以後、2000年の21世紀の国土のグランドデザイン(五全総)に至るまで、長らく国土開発・国土行政に力を及ぼし続けた。1977年、国土事務次官に就任〔。1979年退官し、総合研究開発機構(通称NIRA)の理事長に就任〔。 退官後も「多極分散型国土」を掲げる第四次全国総合開発計画(四全総)の策定にも尽力。1992年から株式会社東京海上研究所理事長〔。「ボランタリー経済」に取り組む。社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)裁定委員会委員などを経て1995年からは阪神・淡路大震災復興委員会委員長として復興政策の立案に参画〔。 2003年に下河辺研究室を設立〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下河辺淳」の詳細全文を読む
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