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黒部ダム(くろべダム)は、栃木県日光市黒部、利根川水系鬼怒川に建設されたダム。高さ28.7メートルの重力式コンクリートダムで、東京電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・鬼怒川発電所へ送水し、最大12万7,000キロワットの電力を発生する。 == 歴史 == === 建設 === 日露戦争終結後、鬼怒川上流に水力発電所を建設し、発生した電力を東京へ供給するという目的を持って鬼怒川水力電気が設立された。この計画は明治時代から構想され、東京電灯(現・東京電力)・駒橋発電所(山梨県大月市)の開発に携わった技術者らを招いて検討した結果、鬼怒川に3カ所の水力発電所を建設する計画としてまとめられた。同時に、年間を通じて一定でない鬼怒川の流量を調整するためのダム貯水池を五十里(いかり)・川俣地点に計画した。しかし、日露戦争による恐慌のため資金調達に何度か失敗し、計画の発起人たちの中でも事業を継続するか否かで真っ二つに意見が分かれた。議論の結果、事業は継続されることになり、利光鶴松を中心に設立されたのが鬼怒川水力電気である。同社は計画にあった3発電所を下滝発電所1カ所にまとめ、水不足に備える貯水池として黒部ダムを、出力調整用として逆川(さかせがわ)ダムを併せて建設することとした。利根川水系逆川に建設する逆川ダムは、黒部ダムと下滝発電所の中間に位置し、日本の発電用アースダムとしては大野ダム(山梨県上野原市)に続いて2例目となる。 社債発行により何とか資金を調達してきた鬼怒川水力電気は、建設工事を1911年(明治44年)2月に着手し、1912年(大正元年)12月に竣工(しゅんこう)、1913年(大正2年)1月に運転を開始させた。318メートルという高落差を利用して、最大3万1,200キロワットの電力を発生する下滝発電所は、当時日本最大級の規模を誇るものであった。供給先については東京市電気局(契約当時は東京鉄道。現在の東京都交通局)との間で電力供給の契約をあらかじめ済ませておいたことで、下滝発電所で発生した電気はすぐに人々の生活に供することができた。 しかし、想定を上回る大量の土砂が黒部ダムに堆積し、貯水容量を圧迫した。このため、水不足に備えて黒部ダムに貯水しておくという、当初の運用計画は破綻することになった。鬼怒川水力電気は新たなる水力発電所建設候補地を探すものの、決定打を見いだすことはできず、下滝発電所が水不足の際には火力発電によって需要をまかなうことにした。こうして、1919年(大正8年)に完成したのが隅田火力発電所である。 File:Sakasagawa Dam survey.jpg|調整池・逆川ダム〔(1976年度撮影)〕 File:Nakaiwa Dam.jpg|逆調整池・中岩ダム 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒部ダム (栃木県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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