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下田 逸郎(しもだ いつろう、1948年5月12日 - ) は、宮崎県生まれのシンガーソングライター。ラブソングの元祖と言われる。その唄の特徴としては繊細な独特のメロディーに乗せて唄言葉をひとつひとつ丁寧に発音する。松山千春などに影響を与え吟遊詩人とも称される。歌詞をハッキリとした口調で唄うのが特徴。 == 略歴 == 出生地は宮崎県であるが、2歳のとき家族とともに東京都へと転居。 1967年、浜口庫之助の主宰する浜口庫之助ミュージック・カレッジへ入学。翌1968年に同期の斉藤ノブとシモンサイを結成。同年12月には作曲・音楽監督として、東由多加が率いる東京キッドブラザースの旗揚げに参加。レコードデビューは1970年、「モーニング・サービス c/w 霧が深いよ」(シモンサイ)。 その後シンガーソングライターとして活動するが、30代でいったん芸能界を離れ国内・海外の放浪生活を送り、40代になって活動を再開する。現在は兵庫県神戸市在住。 2008年3月1日、NHK BS-2「フォークの達人」(全22回)の最終回の達人として登場。当時在住していた福岡県飯塚市にある嘉穂劇場で斉藤ノブ、渡辺香津美、石川セリらと共演する。 2010年、東京キッドブラザースのCafé La MaMa 公演 (1970年 ) をプロデュースしたエレン・スチュワート と再会、オフ・オフ・ブロードウェイの「La MaMa E.T.C. (Café La MaMa の後身) 」に出演(2010年2月25~28日)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下田逸郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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