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下野一霍 : ウィキペディア日本語版
下野一霍[しもの いっかく]

下野 一霍(しもの いっかく、1889年9月11日 - 1969年6月24日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓、松原。
==経歴==
東京府出身。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、砲兵少尉任官。1914年(大正3年)11月、陸軍砲工学校高等科(第20期)を優等で卒業。さらに1919年(大正8年)11月、陸軍大学校(31期)を優等で卒業した。
1932年(昭和7年)4月、陸士教官となり、1934年(昭和9年)9月、砲兵大佐に昇進。1935年(昭和10年)3月、野戦重砲兵第8連隊長に就任。1937年(昭和12年)3月、第6師団参謀長に発令され、谷寿夫師団長に仕える。日中戦争に出征し、第二次上海事変南京攻略戦徐州会戦に参加。1938年(昭和13年)3月、陸軍少将に進級し下志津陸軍飛行学校付となる。
1938年7月、熊谷陸軍飛行学校幹事に転じ、第9飛行団長に異動。1940年(昭和15年)8月、下志津飛行学校長となり、同年12月、陸軍中将に進み太平洋戦争を迎えた。
1942年(昭和17年)2月、漢口で新設された第58師団長に親補され、司令部応城に置き、前身であった独立混成第18旅団の任務を引き継ぎ応城付近の警備や治安維持に従事した。1944年(昭和19年)3月、南方軍付となり、同年5月、同軍兵站監に就任したが、同年12月、東部軍付となり帰国。1945年(昭和20年)2月、予備役編入となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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