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会津西街道[あいづにしかいどう]
会津西街道(あいづにしかいどう)は、江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された、会津の若松城下から下野の今市に至る街道。下野街道(しもつけかいどう)とも称する。 == 概要 == 経路は福島県会津若松市から栃木県日光市今市(旧今市市)までの全長130キロメートルに及び、現在の福島県道131号下郷会津本郷線、国道121号に沿っている。会津西街道は関東側からの呼称で、会津側からは下野街道、あるいは南山通り(みなみやまどおり)とも称されていた。江戸時代には会津藩、新発田藩、村上藩、庄内藩、米沢藩などの参勤交代や江戸と会津以北を結ぶ物流の道として重要な街道であった。 1884年(明治17年)、会津西街道に代わる新道、会津三方道路(国道121号の前身)が整備されたことに伴い、主要街道としての機能は衰退していった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「会津西街道」の詳細全文を読む
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