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下間 真頼(しもつま しんらい、永正10年(1513年)- 天文21年6月14日(1552年7月5日)は、戦国時代の武将で、本願寺の坊官。父は下間頼慶、兄に光頼、弟に融慶。子に頼龍。 母が円如の乳母であった事から、兄と共に本願寺内で大きな発言力があった。証如の時代に奏者に任じられて上野介を名乗った。天文18年(1549年)、坊官の最高位である上座の位にあった兄が急死すると、甥の頼総・頼芸兄弟が幼かったために、成人までの間上座の代行を命じられる。だが、3年後に彼自身も病に倒れて急死した。 ==関連項目== *下間氏 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下間真頼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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