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下間頼広 : ウィキペディア日本語版
池田重利[いけだ しげとし]

池田 重利(いけだ しげとし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名播磨新宮藩初代藩主。元は本願寺坊官であり、下間 頼広(しもつま らいこう)と名乗った。下間系池田家初代。
== 生涯 ==
本願寺の坊官・下間頼龍の長男。はじめ、父と共に東本願寺教如に仕えたが、教如とは相性が悪く父が死んだ慶長14年(1609年)に叔父(母の異父弟)の池田輝政の元へ出奔した。頼広は学識や武芸に通じていた事から、輝政から仕官を勧められて3,000石をもって輝政の嫡子利隆の補佐を命じられた。慶長18年(1613年)、利隆が家督を継ぐと池田姓を与えられて池田重利と改名し、翌慶長19年(1614年)には池田氏重臣として徳川家康に拝謁している。
大坂の陣では、池田利隆・忠継兄弟の幕下で尼崎城を守って戦功があり、戦後に甥の建部政長とともに川辺郡西成郡尼崎で1万石を与えられて大名となった。元和3年(1617年)、宗主である姫路藩池田氏の転封により播磨揖東郡鵤荘に転封。寛永3年(1626年)には播磨揖東郡新宮陣屋を設置し、新宮藩を創設した。
寛永8年(1631年)に46歳で死去し、家督は長男の重政が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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