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下関要塞(しものせきようさい)とは、関門海峡周辺に設置された大日本帝国陸軍の要塞。当初は下ノ関要塞と表記した。 == 概要 == 九州側は富野から東は和布刈、南は高蔵山にかけての小倉、門司の山々、下関側は火の山、霊鷺山などの山々の全体を要塞として活用した巨大な要塞で、小倉にあった第12師団の管轄下にあった。明治時代の任務は関門海峡、周防灘の沿岸防備であった。昭和になると朝鮮海峡の防衛と小倉陸軍造兵廠を中心とした小倉市街地の防空を主な任務としていた。そのため、玄界灘の島々にも砲台を築いている。 戦後、要塞の跡地は様々な運命を迎え、中には取り壊された施設もあるが、当時の状態で未だに残っている施設も多い。一部は陸上自衛隊が使用しているとみられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下関要塞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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