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不動ガ嶽城[ふどうがだけじょう]
不動ガ嶽城(ふどうがだけじょう)は、鳥取県日野郡日野町に所在した日本の城。黒坂から滝山神社に向かう途中、左手の山上、岩壁が露出する場所が城跡である。 == 歴史 == 『陰徳太平記』によると大永4年(1524年)、大永の五月崩れによって尼子氏領となる。永禄7年(1564年)、毛利方の三村家親、香川光景らが、尼子氏の本拠地月山富田城の後背地である当城を攻めた。尼子義久は家臣の福山肥後守に命じ、不動ガ嶽麓の如来堂に夜討ちをしかけたが、撃退できず退く。当城は毛利氏に落ち、永禄9年(1565年)には尼子氏も滅ぶことになる。この後、三村家親は法勝寺城に移ったと伝えられる。 『伯耆誌』には「この岳の頂に方5丈許の岩窟あり、その中平にして筵(むしろ)56枚ばかり敷くべし。そこに不動明王の木像を安置す。巡礼者の参籠するところなり。天文の頃までは坊舎も多かりし地なりとぞ」とあり、信仰の対象でもあったことがうかがえる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「不動ガ嶽城」の詳細全文を読む
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