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不動塾事件(ふどうじゅくじけん)とは、1987年6月9日から6月10日にかけて起こった監禁・傷害致死事件。 == 概要 == 埼玉県秩父郡吉田町(現、秩父市)の私塾「不動塾」は、不登校や障害を持つ15歳から25歳の青少年が親元を離れて集団生活しながら「自立を促す」ということを目的としていた。 被害者の少年は中学2年時に、母親に対する「家庭内暴力や不登校を矯正する」ために1985年12月不動塾に預けられ、1986年3月に「再び家庭内暴力を起こしたり不登校になった場合、制裁する」との条件で、一旦退塾した。その後、自宅に戻った被害者の少年は中学3年になり、登校を続けるが1986年5月初め、「身だしなみ点検」の際、些細な理由で教師から体罰を受け、鼓膜に穴が開く被害を受ける。それをきっかけとして再び不登校になる。 その後別の支援組織を頼り快方に向かっていった。その一方で母親に再度依頼された不動塾塾長と塾生は強制連行未遂を東京都千代田区神田の実家へ繰り返し行う。1987年4月被害者の少年は難を逃れるため母方の祖父を頼り、母親に所在を知らせずに神奈川県鎌倉市大船近くのアパートで、一人暮らしを始めた。 母親と不動塾により所在を突き止められ、1987年6月9日午後9時半頃に、塾長香川倫三(当時41歳)や塾生5人がバールを使いシャッターをこじ開け侵入し、エアガンなど凶器を使い、殴る蹴るの暴行を加え衰弱した状態にして拉致・連行した。1987年6月10日深夜0時過ぎ、塾に到着後、罰として被害者の少年(当時15歳)を1階の土間にあるバーベル用のベンチにうつ伏せに縛り上げ、口に軍足を押し込んだ状態にして、1人10回ずつ金属バットで臀部を手加減無しに叩くよう塾生らに指示し、塾長と塾生で合計約220回殴打した。その後2階で塾生による塾長黙認の鉄パイプ、熱湯などを使った執拗な暴行が未明まで続き、被害者の少年は1987年6月10日午前6時頃、外傷性ショックで死亡した。 その後、塾長と塾生2人が監禁・傷害致死で逮捕された。塾生2人が不起訴となったが、塾長は起訴された。1989年2月14日、浦和地裁は塾長に求刑5年に対して、懲役3年6ヶ月判決が下る。1989年12月5日、東京高裁は一審を破棄、懲役3年が確定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「不動塾事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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