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不逞鮮人(ふていせんじん)とは、犯罪行為や反日運動をする朝鮮人に対して用いられた語である。今村鞆によると、「排日鮮人」という語を韓国統監府の伊藤博文が嫌って公文書に表記することを禁止したため、警務局の誰かによって造られたという。 現在は差別語とみなされる〔金富子『関東大震災時の「レイピスト神話」と朝鮮人虐殺――官憲史料と新聞報道を中心に 』『大原社会問題研究所雑誌』 (669), 1-19, 2014-07 法政大学大原社会問題研究所〕。 本来は韓国併合後の日本政府に不満を持つ内地の朝鮮出身者や、満洲の朝鮮人反体制派、朝鮮独立運動家〔黄善英『揺動と不動 : 中西伊之助の「不逞鮮人」と「北鮮の一夜」 』『比較文学・文化論集』20, 67-79, 2003-03-30 東京大学比較文学・文化研究会 〕、犯罪者をさした。 戦前は「怪鮮人〔京城日報1921年8月17日、神戸又新日報1923年4月25日〕」と共に新聞等でも公に使われていた。 1919年の三・一独立運動以降、テロを行う朝鮮人が恐怖と不安の対象となり、「不逞鮮人」という表現が登場し、一時期は流行語にもなった〔アンドレ・ヘイグ中西伊之助と大正期日本の不逞鮮人へのまなざし 」立命館言語文化研究 22(3), 81-97, 2011-01 立命館大学〕。 == 関連事件 == *李王世子暗殺未遂事件で犯人の徐相漢は不逞鮮人として報道された〔神戸又新日報 1920/7/7。萬朝報 1920/6/18〕。 * 関東大震災でも朝鮮人が暴動を起こした等と報道された際、同表現が使われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「不逞鮮人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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