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ブリ(Büri ? - 1252年)は、モンゴル帝国の皇族。チンギス・ハーンの次男であるチャガタイの長男モエトゥケンの息子。『世界征服者史』『集史』などでは بورى Būrī、『元史』では不里、孛里。『元朝秘史』では不舌里と表記される。 オゴデイの命令で西征が開始されると、バトゥに従ってチャガタイ家からは叔父のとともに参加した。このときの勝利の宴席で、バトゥを侮辱する言葉を放った〔ドーソン『モンゴル帝国史』第2巻、289頁〕。 モンケが即位した後、宴席での侮辱の報復としてバトゥによって殺害された〔。 ==子息・子女== 『集史』チャガタイ・ハン紀諸子表によれば、ブリには息子が5人いたという。また、『五族譜』のチャガタイ家条によれば、ブリにはオルジェタイ(اولجه تاى Ūlja-tāī)という娘がおり、彼女はフレグの十一男モンケ・テムルの妃であったという。 *カダキ・セチェン(قداقی سچان Qadāqī Sachān) *アフマド(احمد Aḥmad) *アジキ(آجيقی Ājīqī) *エブゲン(ابوكان Abūkān) *アビシュカ(ابيشقه Abīshqa) - チャガタイ・ハン国6代君主 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブリ (チャガタイ家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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