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与倉知実[よくら ともざね] 与倉 知実(よくら ともざね、生年不詳 - 1877年(明治10年)2月23日)は、江戸時代後期(幕末)の薩摩藩士。明治時代前期の陸軍軍人である。最終階級は陸軍中佐。通称は彦八。 == 経歴 == 薩摩・鹿児島藩の出身。 明治4年(1871年)7月に陸軍大尉、明治5年(1872年)8月に陸軍少佐(2番大隊長)、明治6年(1873年)2月に近衛歩兵第4大隊長を経たのち、明治8年(1875年)2月、陸軍中佐・歩兵第13連隊長となった。 明治9年(1875年)10月24日の神風連の乱では、自宅を神風連・中垣景澄ら8人の襲撃を受けるが、妻・鶴子の機転で馬丁を装ってその場を脱出した。その後は大兵営の歩兵第13連隊を率いて鎮圧をはかった。 しかし、明治10年(1877年)の西南戦争「段山(だにやま)の戦い」で被弾した。同じ日、鶴子は女子を熊本城で出産したが、与倉は翌日死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「与倉知実」の詳細全文を読む
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