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与島港 : ウィキペディア日本語版
与島[よしま]

与島(よしま)は、香川県坂出市瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島〔。
与島を中心に、坂出市に属する櫃石島岩黒島、与島、鍋島、小与島、瀬居島沙弥島などを束ねて与島諸島とも言う〔。
==地勢==

古くから瀬戸内海備讃瀬戸)の重要港だった四国宇多津本州下津井(現倉敷市の一部)の両港のほぼ中間地点に位置する島である〔〔。
塩飽諸島を構成する主要7島(塩飽七島)の一つで、主に花崗岩からなり、面積1.10平方km、周囲6.9km〔〔〔。周囲に羽佐島岩黒島小与島鍋島三つ子島を従えている〔。「与島」という名称が確認できる最古の文献は1590(天正18)年に遡り、これらの島々が組になっていることから「与する島」というのが島名の由来とする説がある〔。塩飽諸島のうち、坂出市に属する島を与島諸島とも言う〔。
島の東西それぞれに標高60-70mほどの南北に走る丘があり、かつては採石場だった〔〔。北にはかつて入り江があって、島は馬蹄形をしていたが、江戸末期に塩田を作るために入り江が埋め立てられ、今は円形の島である。埋め立てられた一帯は今は「塩浜」地区となっている〔〔。かつての「馬蹄」の先端部は「長崎鼻」などと呼ばれており、石棺や列石が見つかっている〔〔。
島の南東側には「浦城」地区があり、100mほど沖に小さな鍋島がある。今は防潮堤で鍋島と接続されており、港になっている〔。鍋島にある鍋島灯台は1872(明治5)年築の石造りの灯台で、日本で2番めに古い灯台とされている〔。
植生はクロマツアカマツが多く、農地では麦作や花卉栽培が行われている〔。古くは漁業と石材業が島の中心産業で、浦城の漁港を中心になどを獲っていた〔。瀬居島との間の海域や牛島の南など、あたりは岩礁の多い好漁場だったが、それゆえに近隣の浜との諍いが絶えず、備前国(岡山県)側とも讃岐国(香川県)側とも対立した〔。島で切り出した石材を運ぶための回漕業も発達し、島原の乱では板倉重昌が与島で24隻の船を徴発して資材の運送に充てた〔。島民は船員として秀でており、河村瑞賢による西廻海運開拓、咸臨丸小笠原航海にも参加した〔。塩飽諸島独特の制度として、戦国末期に作られた「人名(にんみょう)」というものがあり、幕府の海事に船員として労力を提供する代わりに世襲で漁業権や島の土地の権利を保証された〔。塩飽の島々は「人名の島」とも呼ばれ、「人名」の名称は現代も島域の山林の管理組合などに残されている〔。江戸後期には入浜式の塩田が拓かれ、製塩業もはじまり移住者が増えた〔。塩田を築いたのは備前国出身者だったので、香川県内の他の塩田とは設計が異なっているのが特徴である〔。塩田は1972(昭和47)年まで操業していたが、国の塩業政策にともなって廃止になり、跡地は瀬戸大橋建設のための資材置き場となった。これが現在の塩浜地区にあたる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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