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与田剛士 : ウィキペディア日本語版
与田剛[よだ つよし]

与田 剛(よだ つよし、1965年12月4日 - )は、福岡県北九州市生まれ、千葉県君津市出身の元プロ野球選手投手)。からまでの登録名は「与田 剛士」(読み同じ)。より東北楽天ゴールデンイーグルス投手コーチ。
夫人は元TBSアナウンサー木場弘子
== 経歴 ==
亜細亜大学時代は故障が多く、登板機会はほとんどなかった。(。しかし、NTT東京時代に150km/hを超える剛速球が注目され、全日本代表メンバーに抜擢。
1989年度ドラフト会議中日ドラゴンズが1位指名で交渉権を獲得。当初は在京球団を希望していたが〔セ新人初の快挙!与田剛、2ケタセーブでリーグトップ 〕、後に契約金7500万円、年俸720万円(金額は推定)で入団合意した〔朝日新聞、1989年12月16日付朝刊 (14版、22面)〕。初登板は4月7日の横浜大洋ホエールズとの開幕戦で、同点で迎えた延長の11回表無死1、3塁のピンチでのリリーフ登板であったが2つの三振を含む無失点に抑えた〔。その後も抑えとして活躍し、6月1日にセ・リーグ新人選手初の二桁セーブを記録した〔。オールスターゲームにもファン投票で選出〔され、新人では当時最多となる31セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得し、新人王に選出された。8月15日の広島戦(広島市民球場)では157km/hの球速を計時して当時の日本人プロ最速を記録している〔。その剛速球と名前から剛球投手と呼ばれた。リリーバーを続けるうちに肩・肘への負担が選手寿命を縮めるパターンに陥り、4年目以降は右肘痛のため思うような成績を残せずシーズン途中に内藤尚行との交換トレード千葉ロッテマリーンズに移籍。1996年は2A・メンフィス・チックスに野球留学した。も一軍登板できず、オフにロッテを自由契約となる。
日本ハムファイターズにテスト入団()。抑え不在だったチーム事情もあり期待されたが、キャンプ終盤肘を故障、4月に遊離軟骨除去手術を受けプロ入り初の1軍・2軍通じて登板なしに終わる。しかしシーズンオフの教育リーグで好投し残留。10月2日のシーズン最終戦のロッテ戦に4年ぶりの一軍登板したが、自由契約となる。
阪神タイガースにテスト入団。キャンプ・オープン戦で好投し、当時監督の野村克也からもストッパー候補として名が上がっていた。しかしオープン戦終盤、好投した翌朝ベットから起き上がれないくらいの腰痛に襲われる。この腰痛により戦線離脱し結局一軍登板もなく、同年限りで現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「与田剛」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsuyoshi Yoda 」があります。



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