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且鞮侯単于 : ウィキペディア日本語版
且テイ侯[しゃていこう]

且侯(しゃていこう、拼音:Qiĕdīhóu ? - 紀元前96年)は、中国前漢時代の匈奴単于伊稚斜単于の子、の弟。単于号が無く、且鞮侯というのは名で、姓は攣鞮氏
== 生涯 ==
伊稚斜単于の子として生まれる。
太初3年(前102年)、兄の犁湖単于が即位すると、且侯は左大都尉となるが、その年の冬に犁湖単于が病死したので、単于に即位した。
太初4年(前101年)、漢は大宛を討伐。その威勢は諸外国を震撼させた。単于且侯は恐れて、今まで留置していた漢の使者たちを全員帰国させ、敵意がないことを伝えた。そこで漢は中郎将蘇武を派遣して、単于に多額の贈物を送った。すると単于は次第につけあがって、傲慢な態度をとるようになった。
天漢元年(前100年)、匈奴に捕まっていた野侯の趙破奴は脱走して漢に帰国した。
天漢2年(前99年)、漢は弐師将軍の李広利率いる3万の騎兵を酒泉から出撃させ、右賢王天山で撃ち、首虜万余級を得て還った。匈奴は大挙して李広利を包囲した。李広利の兵はほとんど脱出することができず、10分の6~7が戦死した。漢はまた因将軍の公孫敖西河から出撃させ、強弩都尉の路博徳と邪山で合流したが、何もなかった。騎都尉李陵率いる歩兵5千人を居延の北千余里から出撃させ、単于且侯と遭遇し戦闘になった。李陵は万余人を殺傷したが、兵糧が尽きたので撤退しようとしたところ、単于に包囲され、匈奴に降った。単于且侯は李陵に自分の娘を娶らせた。
天漢4年(前97年)、ふたたび漢は弐師将軍の李広利率いる6万の騎兵と10万の歩兵を朔方から出撃させ、強弩都尉の路博徳率いる1万、遊撃将軍の韓説率いる3万を五原から出撃させ、因将軍の公孫敖の4万を雁門から出撃させた。匈奴はこのことを聞くと、遠く余吾水の北までの足手まといになるものを撤退させ、単于は10万の騎兵を率いて李広利と河南で戦闘となった。李広利は匈奴に降伏し、韓説は何の成果もなく、公孫敖は左賢王と戦ったが敗北して引き揚げた。
太始元年(前96年)、単于且侯は死に、長子の左賢王が狐鹿姑単于となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chedihou Chanyu 」があります。



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