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並川義隆[なみかわ よしたか]
並川 義隆(なみかわ よしたか、1898年(明治31年)4月11日 - 1975年(昭和50年)1月2日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』922頁。〕)は、日本の内務・警察官僚。官選滋賀県知事。 ==経歴== 京都府出身。並川栄慶の長男として生まれる〔。第三高等学校を卒業。1921年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1922年、京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し大阪府属となる〔『新編日本の歴代知事』642頁。〕〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』232頁。〕。 以後、地方警視・宮崎県警察部保安課長、徳島県警察部保安課長、地方事務官・秋田県農務課長兼知事官房秘書課長兼文書課長、奈良県地方課長、同勧業課長、福井県学務部長、岡山県学務部長、島根県総務部長などを経て、1939年4月、富山県総務部長となる〔。1940年4月、東京府書記官・経済部長に就任〔『官報』第3977号、昭和15年4月11日。〕。 1942年1月、滋賀県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1943年7月に知事を退任〔。その後、食糧管理局長官を務め、1946年に退官。公職追放となった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「並川義隆」の詳細全文を読む
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