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並河靖之[なみかわ やすゆき]
並河 靖之(なみかわ やすゆき、弘化2年9月1日(1845年10月1日) - 昭和2年(1927年)5月24日)は、日本の七宝家。明治期の日本を代表する七宝家の一人で、京都を中心に活躍。近代七宝の原点である有線七宝にこだわり続けてこれを極め、東京で活動した無線七宝を得意とするライバル・濤川惣助と共に、二人のナミカワと評された。 == 伝記 ==
=== 生い立ち === 川越藩松平大和守の家臣で、京都留守居役京都詰め役人だった高岡九郎左衛門の3男(幼名は留蔵)として京都柳馬場御池北入町で生まれる。近江領5000石。靖之は幼い頃から動物が好きで、毎日下男におぶって貰い、近くの本能寺の馬場へ馬の匂いを嗅ぎに行ったという。安政2年(1855年)11歳のときに、親戚で粟田青蓮院宮家に仕えていた並河家当主の靖全が急死したため、急遽養子となった。並河家の家督を継いで通称を政治郎に改め、安政5年(1858年)に元服、名を主税、諱を靖之を名乗る。家督相続後すぐに、時の当主・久邇宮朝彦親王に近侍として仕え、親王が安政6年から文久2年に相国寺への「隠居永蟄居」を命じられた時や、明治2年から4年にかけても広島藩預りになった際も、親王のそばで仕え続けた。靖之は大坪流を修めた馬術の達人で、伏見宮や閑院宮にも馬術の手解きをしたという。しかし、家禄は年40両と微禄だったため、明治4年頃から事業を起こそうと思い立つ。宮家に仕える傍ら、兎や鶏を飼ったり、団扇の骨やササラを作るが、これらは全て失敗した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「並河靖之」の詳細全文を読む
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