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中丸 忠雄(なかまる ただお、1933年3月31日 - 2009年4月23日)は、日本の俳優。 == 来歴・人物 == 東京市足立区伊興町に、電気工学士の息子として生れる。映画『青い山脈』の池部良に憧れ、俳優になる事を志し1953年、東京芸術大学洋画科を中退。1955年、「東宝ニューフェイス」に合格し、入社。同年、『ゴジラの逆襲』などに端役で出演し、1957年の『別れの茶摘歌姉妹編 お姉さんと呼んだ人』(本多猪四郎監督)で本格デビュー。 岡本喜八監督の『独立愚連隊』(1959年)で注目を浴び、以降同監督作品の常連として活躍。他にも、渋く響く低音、精悍な容貌を活かして敵役や軍人役に持ち味を発揮し、『電送人間』(1960年)、『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年)、『日本のいちばん長い日』(1967年)などの作品で強烈な印象を残した。 1968年、テレビドラマ『37階の男』に主演。同年に東宝を退社し、その後は主にテレビと舞台に活躍の足場を移して、『キイハンター』、『プレイガール』などの人気作品に出演。テレビ時代劇では家老役を、刑事ドラマでは高圧的ながらも人間味のある上官役を多く演じた。また、シェイクスピア演劇への貢献を認められ、英国政府からサー(Sir)の称号を贈られた。 2006年放映のテレビ東京系『ザ・決断!あの一瞬』に出演以降、芸能活動から遠ざかる。 評論家の中丸薫は妻。 2009年4月23日、胸部動脈瘤破裂のため順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。。 7月25日、有楽町の日本外国特派員協会で「お別れの会」が営まれた 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中丸忠雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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