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中之上靖文 : ウィキペディア日本語版
中之上靖文[なかのうえの やすふみ]

中之上 靖文(なかのうえの やすふみ、1986年6月14日 - )は、日本男性プロレスラー。本名は中上 靖文(なかうえ やすふみ)。大阪府箕面市出身。WRESTLE-1に所属している。
== 経歴 ==
アニマル浜口ジムを経て2008年1月27日に行われた武藤塾番外編の新人オーディションに合格〔全日本プロレス新人テストに3名が合格=武藤塾番外編 スポーツナビ 2008年1月27日〕。また武藤敬司はその時の新人オーディションに対して「上から目線になってしまうけど、どうしても物足りなさを感じてしまう。」と不満を述べて「預かったからには誠心誠意、情熱をぶつけて未来のスターを生み出したいね。」と語っていた。またその時の3人の合格メンバーの中には全日の練習のキツさに耐えかねて退団、その後DRAGON GATEで1年ほど早くプロレスデビューした近野剣心(当時・近野健一)がいた〔。
2008年4月に全日入団。他の同期メンバーが次々と辞めていく中で1人厳しい練習に耐える毎日を送る。しかしその3か月後に浜亮太が全日入団。大相撲出身という経歴と日本人最重量という超巨体を武器にすぐさまトップ戦線で活躍していた。そんな中、中上自身は長い間デビューを待つこととなった。
2009年12月13日、ファン感謝デーにて翌2010年1月2日に中之上靖文の名前でのデビューが発表された。入団から1年9か月後の2010年1月2日、近藤修司を相手にデビュー戦を果たした。
デビュー年は連敗街道が続き、入門もデビューも後輩である曹駿にシングルマッチで敗れることもあった。しかしその不屈の精神で経験を積み、台湾興行では付き人を務める西村修とのタッグで、アジアタッグ次期挑戦者決定トーナメントに出場。一回戦で敗れたものの、翌日のバトルロイヤルではその西村からフォールを奪った。
2011年、大日本プロレスから参戦した関本大介岡林裕二の対戦相手に抜擢された。入門は同期である浜とのタッグで挑み、これまでの新人ファイトを払拭する気迫溢れる試合を見せたが、関本のパワー殺法に完敗しバックステージでは悔しさのあまり涙を流した。
5月15日の後楽園ホール大会で、征矢学真田聖也のパートナーとして、アジアタッグ王者組である関本と岡林に河上隆一を加えたストロングBJトリオと対戦。終始中之上が攻め込まれる展開になるもこれを耐え抜き、真田が河上からフォールを奪い、6人タッグではあるがプロ初勝利をあげた。しかし何故か雑誌やテレビ中継などでは未勝利扱いされている(2011年8月現在)。これは、いまだに自身での勝利(シングル・タッグ問わず)を挙げていないためかと思われる。
7月31日名古屋大会では、怪我で一年以上休場し復帰したばかりの曹駿にあっさりと敗れるなどいまだに連敗街道の終わりは見えなかった。
2012年9月8日GAORA TVチャンピオンシップ初代王者決定トーナメントの出場選手に抜擢され、初戦で浜亮太を倒し、レスラー人生初の自力勝利をもぎ取った。デビューしてから2年8ヶ月という長い連敗街道であった。
10月7日、トーナメントの準決勝で宮本和志を下し決勝に駒を進めたが、決勝では真田に敗れ王座獲得はならなかった。
2013年5月からラスト・レボリューションに加入。
2013年6月30日の両国国技館大会を最後に全日本プロレスを退団した。その後、WRESTLE-1旗揚げに参加。
2014年3月にはアメリカのTNAに参戦。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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